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大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)4911号 判決

主文

被告は原告に対し金七万円及びこれに対する昭和二九年一〇月二〇日より右支払済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを七分しその一を被告の負担、その余を原告の負担とする。

この判決は金二万円の担保を供するときは原告勝訴部分に限り仮執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告と被告とが訴外藤川享の媒酌により昭和二八年一二月一七日見合いをして同月二〇日慣習による結婚の式を挙げ事実上の夫婦として被告方において同棲生活をするに至つたこと、翌二九年一月二八月被告は原告を右藤川享方に連れて行き爾来原告は被告方に復帰するに至らなかつたことはいづれも当事者間に争がない。後記認定のとおり被告は原告を媒酌人藤川享方に連れて行つて同人に原告を預けたまま原告の要求にも拘らず被告方に復帰することを拒絶したものであるところ、被告は原告との婚姻を継続し難い重大な事由があつたと主張し、原告に(1)虚言癖のあつたこと、(2)被告家の宗教(仏教)を否定し軽侮したこと、(3)夫たる被告並に被告の両親に従順でなかつたこと、(4)勤労意欲を欠いていたこと、(5)虚栄心が強く浪費癖のあつたこと等の事実を挙げているが、全証拠を検討してみても原告に特に批難に価するような右の如き性癖や行為があつたものとは認められない。尤も証人徳丸しげの証言と被告本人尋問の結果を綜合すると、原告は料理や裁縫が充分にできなかつたと、毎日仏前に湯茶等を供するのは被告家の慣習であつたが原告がたまたま之を忘れたことがあつたとか、時に朝の起床の遅いことがあつたとかいう程度のことは認められるけれども、結婚早々の女性に家事万端遺憾なく処理することを期待することは無理であり、又右の程度のことは特にとりあげて問題とするに足らないことである。その他被告が原告と婚姻を継続し難い重大な事由の存在したことは何一つとして認めることはできない。却つて証人藤川昭、同森川長次郎、同遠藤昭二、同徳丸しげの各証言及び原被告各本人の供述並に弁論の全趣旨を綜合すると、被告が原告を藤川享方に連れて行き爾来被告方に復帰することを拒絶するに至つたのは次のような経緯によるものであることが認められる。即ち、

被告は原告と見合いをする前に、同じく藤川享の仲介で訴外野々村栄と見合いをしたが、仲人の藤川享は、野々村栄は被告と結婚することを承諾したと被告に伝えたので、被告においても異存なく結婚を決意し、先方に交付すべき結納金一八〇〇〇円を藤川享に託し、結婚式の日を昭和二八年一二月一八日と定めて準備を整えていた。ところが挙式の日も間近い同月一六日頃になつて藤川享は野々村から破談を申入れてきた旨被告方に伝えたので、既に親戚、近隣の知人、勤務先等に結婚を発表し、祝品をも受納し、挙式当日の料理等の手配も済ませて萬端の準備を整えていた被告や被告の両親は驚いて、円満に話をまとめるよう藤川享に頼んだが、どうにもならないということであつたので甚しく困惑していた。然るところ、藤川享が野々村栄に代るべき者として自己の従妹に当る原告を紹介し、原告と結婚するよう励めたので、被告や被告の両としては前示のような事情で途方に暮れていた際でもあり、原告の身上等については直接調査する暇もなく、藤川享から原告の経歴や性格等を聞いただけで同月一七日原告と見合いをして同月二〇日被告の両親及び親族、原告の父、媒酌人藤川享等列席の上被告方で原告との結婚の式を挙げ、その後原被告は被告方で被告の両親と同居して夫婦生活を営み、将来法律上の婚姻をなすべき予約が成立したのである。ところが、翌二九年一月下旬頃、先の野々村栄との縁談は既に前年一一月頃野々村方から破談を申入れてきていたのを仲介人藤川享は被告方に秘し、右縁談は成立したかの如く被告方を欺き、託された結納金も野々村方に納めていなかつた事実が判明したので、被告や被告の両親は藤川享の右不信行為に憤慨し且つは原告との結婚も同人が被告方を困惑に陥れた上その成立を余儀なくさせるよう当初から仕組んだものではないかとの疑問を抱くに至り、原告との結婚も一応元に還すことに意を決し、同月二八日原告を藤川享方に連けて行き同人に預けたのである。その後原告の父も上阪し被告方と交渉し原告の復帰を要求したが被告は原告の帰宅を拒絶し、遂に円満解決をみるに至らずして原被告の夫婦関係は破綻に帰したものである。

被告は、仮に原告と婚姻関係を継続し難い重大な事由が存しなかつたとしても、昭和二九年一月二八日原被告合意の上事実上の婚姻関係を解消したものであると主張するが、右合意のあつたことを認め得べき証拠はないから、被告の右抗弁は理由がない。而して前認定事実に徴すれば、被告及び被告の両親は、先の野々村栄との縁談における仲介人藤川享の不信行為を憤慨するの余りといえ、原告に何等に関係のない事柄に基き且つ原告に何等責むべき事由もないのに、事実上の婚姻関係を一方的に破毀し、以て法律上の婚姻を為すべき予約を履行しなかつたものであつて、右不履行の責は被告に帰せしむべきものである。而して終生の契りを誓つて結婚したであろう原告が自己に責むべき事由もないのに前示の如く破鏡の憂き目をみたことによつて精神上甚だしい苦痛を蒙つたものと認むべきは多言を要しないところであり、被告は原告の蒙つた精神的損害に対し慰藉料を支払うべき義務がある。

よつて原告請求の慰藉料の額につき按ずるに、原告本人の供述によれば、原告は昭和二一年京都市の明徳高等女学校を卒業後約二年間大阪瓦斯株式会社京都支店に勤務し、一時郷里岡山県の実家に帰つていたが、其後上阪してキリスト教会に身を寄せて城星学園幼稚園で働き、昭和二八年一二月頃から新響電機株式会社に勤務中被告と結婚するに至つたもので原告にとつてそれが初婚であつたこと、現在は肩書住所地の田中茂方で女中として働き生活していることが認められ、一方被告の供述によれば、被告は今宮職工学校夜間部選科を卒業し、現在三光ミシン塗装株式会社に勤め、月給は手取り約一六〇〇〇円で他に格別の資産もないことが認められ、原被告の右学歴、経歴、資産状態、社会的地位、並に、被告が婚姻予約不履行を為すに至つた経緯その他弁論に現れた諸般の事情を考慮し、原告の蒙つた精神上の損害に対する慰藉料は額は金七万円を以て相当と思料する。従つて原告の被告に対する本訴請求は、金七万円及び之に対する本件訴状送達の翌日たる昭和二九年一〇月二〇日以降右完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度を以て正当として之を認容し、其余の請求は失当であるから之を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三上修)

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